「語学に終わりはない」
よくそう聞きます。
僕もそう思っています。
だから、時々、人にそういって励ますことがありました。
でも、語学に終わりはないのか?
ふと考えてみたのでした。
Endless Journey / h.koppdelaney
まず、「語学に終わりはない」という場合、その理由は何でしょうか。
どれだけ続けていても、絶えず新たな発見がある、というのは一つの大きな要素だと思います。
それで、それが楽しくてやめられない、という場合、
終わりがない=終わらなくて良い
といった感覚なのではないかなぁと思います。
一方、どれだけ続けても、絶えず新たな発見があるということが、
イコール、未熟さを思い知るといった感覚が強くなって、
「終われない」と感じる場合があるかもしれません。
あるいは、
ある外国語学習をしていて、終わりがないと感じる人の中には
もしかすると、目的や目標が不足していて
いつまで、どの程度までやったらいいのかわからない(もしくは決めていない)
ということが一因になっているかもしれません。
千野栄一著「外国語上達法」には、たとえば職業上必要とする外国語がある場合、
「自分の職業に必要な最小限の知識」で十分なのだとあります。
「必要とする量だけ学習するというのが、多くの言語を習得するコツの一つなのである。」
と書いています。(24、25ページ)
でも、これまで僕は、「自分の必要とする量」を意識している韓国語学習者に
あまり出会っていません。
どちらかというと、ゴールに向かおうとはしていない学習者たちです。
ずっと楽しく韓国語を学び、上達は意識せず、韓国人との交流や韓国文化を楽しむ…
僕は別にかまわないと考えています。
語学との付き合い方は、その人のものです!
でも、「上達したい」と考える場合、やはり、「終わり」を見定める必要があるのではないでしょうか。
つまり、自分が、韓国語を(あるいはほかの言語を)、どれくらい使えるようになりたいと
思っているのか、何のためにそうしたいのか、いつまでにそうなりたいのか
それを、事前に決めるということです。
「必要とする量だけ学習するというのが、多くの言語を習得するコツの一つ」なのです。
そのためには、目的と目標が必要なわけです。
さて、目的と目標、似ているようで違います。
林成之著「脳に悪い7つの習慣」にこんなことが書いてあります。
「たとえば『頑張って契約を取ってきます』というのは、ただの目的です。『目標』とは、契約を取るためになにをするか、やるべきことを具体的にしたもののことをいいます。ということは、目的を達成するためには、いくつもの目標があることになります。しかしながら、それを明確にしないまま『がんばります』という人は少なくありません。…『がんばります』は、脳にとっては意味不明な言葉なのです。また、『がんばること』自体が目標になってしまうと、目的を達成しなくても『がんばったから』と納得してしまい、いつまでたっても目的を達成できないという悪循環に陥ることになりかねません。」(76,77ページ)
目標を明確にすることによって、それを意識的に取り組み、こうして目的を達するという
脳にとって正しい「がんばり方」が書いてありました。
ある一定の水準をゴールに定めた方は、
その水準に達したと思えたなら、その外国語学習に関して
「終わり」を迎えた
ということになります。
もう少し続けるのか、違う外国語をするのかは、その人の自由。
(それでも、レベルを維持しようと思えば、いわば「定期点検」のような学習を続ける必要はあります。)
そういう意味ならば、語学にも終わりはあるのだなと思うわけです。
それで、「語学に終わりはないというからなぁ」と思うとき、ちょっと立ち止まって
なんでそう思うのか、考えてみるのはいかがでしょうか?
あたかも、あてどもなく車でドライブしているような学習の仕方をしてはいないでしょうか。
ドライブ自体は楽しいかもしれません。
でも、時間とお金(ガソリン代)をかけているのは事実。

Drive / timo_w2s
語学に関しても、時間とお金が大いにかかりますよね!
「終わらない外国語学習」を続けるのかどうか
自ら「終わりのある語学」を設定するのか
私たちそれぞれの、韓国語を学ぶ目的に大きく依存しますね。
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ゆーパパ
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